LastEclipse 第一章:失墜のプライド9 【長編小説】| ページ内の末尾へ |


慟哭〜wail〜

──友達は良いものだって言ったのは、お前だったな──

* * *

「この学校に……お前らに会えて、嬉しいよ」
 橋本優の口からそう聞いたのは、確か一年生のとき、文化祭の準備で学校に居残っていたときだった。一年半も前……つまり『神隠し』の最初の事件から、だいたい一年前だ。
 教室の中には蒼木と橋本しかおらず、すでに太陽も沈んでいた。他の教室でもそれぞれ準備をしているクラスがあるが、自分たち以外誰もいないんじゃないかと思うほど静かだった。
「なんだよいきなり、怖いな」
 入学すると校内にいる生徒のほとんどが初対面なわけだし、まだそんなにお互い打ち解けてはいなかった。橋本とはあまり仲が良くなかったと思っていたので、その言葉を真に受けることはできなかった。
「いやさ、うん……友達っていいな、って思った」
 橋本の顔は幸せそうに笑っていた。
「ん?」
 蒼木は橋本の言葉を、作業しながら聞いていた。
「なんていうか、なんだろうな……誰にも憎まれず、誰も恨まず、当たり前のことで笑っていられるって、すげー幸せなんだなと思う」
「……中学んときでもイジめられてたのか?」
「ああ、そうだ」
 橋本の思わぬ告白に、蒼木は少し戸惑った。
「そうか……」
 そう答えると、また教室の中は静かになった。しばらくすると、橋本が話を切り出した。
「第三東中学って、知ってるか?」
「いや、知らないなぁ……」
 その頃はまだ、市原がそこに通っていたことも、そして数ヵ月後に市原が殺されることも知らなかった。
「桜光高校から結構近いんだけど、俺さ、そこに通ってたんだ……あそこ、すごくガラ悪くて、不良ばっかで、近所からも嫌われてるんだ」
「そうなのか……」
 蒼木には初耳だったが、そういう不良校はどこにでもあるんだなと思った。
「そこで俺、友達なんかいなくって……毎日毎日イジめられてて、不登校になったときもあった。自殺しようかとも思った」
「……」
「あそこは地獄だった、毎日が生き地獄だったよ」
 蒼木にはイジめられた経験がないのでピンとこないが、自殺するほどとなればよほどつらかったのだろう。
 そしてそれでも、橋本の顔は笑っていた。
「でもさ、生きていればきっと良いことがあるって、苦しいだけと同じ楽しさがいつか来るんだって、そう信じてた。なんとか中学んときは我慢したよ。死ぬ寸前だったけど。でも、ここに来れば皆お互いのことなんて知らないし、イジめもなくなった。これが学校なんだなぁって、初めて思えたよ」
「……そうか」
「ありがとう、蒼木」
「な、なんだよ。ありがとうなんて言われるようなこと、してねーよ」
「蒼木にとっちゃ当たり前のことかもしれないけど、こうして接してくれて、嬉しかったんだぜ」
 真顔で言われたので、なんだか物凄く恥ずかしい気分になった。
「へっ……男に言われても、こっちは嬉しくなんかねーよ」
「はは、そりゃそうか」
 そうしてしばらく笑いあって話をしながら、作業をしていた。
 何分かして、橋本がつぶやいた。
「……俺にも、幸せになれる権利なんて、あるのかな」
 それが蒼木には少し聞こえづらかったので、
「ん?」
 と聞き返した。
「あ、いや、何でもねぇ。さっさと終わらせようぜ」
「おう」
 暗闇が覆う中、そこには光が満ち溢れていた。
 二人を照らす、明るい光が──
「こんな日が、ずっと続けばいいと思うよ」
「ああ、全くだ」
 いつまでもいつまでも、照らし続けていた。

* * *

 何故、今になってあの時のことを思い出せたのだろう。
 事件とは何の関わりもないと思っていたから?
 友人だと思っていたから?
 今となってはもう、何もかもが、遅い。
 せめて……罪を償って欲しいと思った。
「……」
 蒼木は橋本を桜光高校の裏山に呼び出し、先に一人で待っていた。
 殺害された日の間隔が短くなっていっていることや、何の理由もなく突然学校を休みだすことから、瀬戸は橋本が逃走してしまうのではないかと予想していた。きっと明日も学校には来ないのだろう。呼べるのは、今しかなかった。
 辺りはほとんど闇だった。かろうじて桜光高校のある方から街の光が見えるが、少し裏山の奥に入ればそこは樹海と同じようなものだった。そして身も凍りつくような静寂。この闇と無音において、蒼木を見守っていてくれるものなど何も無かった。
 月明かりさえもいつの間にか雲にさえぎられ、空気が湿っていた。同時に極寒の地にいるような寒さも覚える。真冬の夜の森、よほどのことが無い限りはこんなところでクラスメイトと待ち合わせはしないだろう。もう少し暖かくしていけばよかったと、蒼木は少し毒づいた。
 しばらくすると人の気配がした。落ち葉を踏みしめる音が、この静寂の中で鮮明に聞こえた。その足音が蒼木に近づくたび、心臓が止まるかという思いだった。なんとか平常心を保とうとする。
「よう、蒼木。こんな時間にどうした?しかもこんな場所で」
 ズボンのポケットに手を入れ笑いかけてきたのは、橋本優だった。その顔はいつも教室で見る顔となんら変わりないはずなのだが……蒼木にはわかった。あれは笑っているのではなく、ただ口元を吊り上げているだけだ。瞳は裏山の静寂と闇を写し、まるでにらみつけられているかのようだった。目は、笑っていなかった。
「おー寒っ……」
 橋本はわざとらしく寒そうな演技をしているが、蒼木はもう橋本の顔は見ていられなかった。
「……」
「どうした?そんな怖い顔して。まさかこんなところで、愛の告白じゃねぇだろうな」
 もう一度橋本の顔を見る。声も明るく、優しく、いつもの口調だ。ここが教室ならどんなにいいだろうと思った。
「そう言えば橋本さ、今日学校休んでたじゃん?」
「ん、おう」
「安達先生から朝、連絡があって。橋本にも伝えておかなきゃと思ったんだ」
「試験のことか?」
「……」
 あの時と同じく、再び心臓が高鳴るのを自覚した。あの時──瀬戸先生が犯人だと思っていた、あの屋上に呼び出されたときの高鳴り。それは、恐怖だったのかもしれない。
 蒼木はこれから先の言葉を言うのが怖かった。これが最後だ。この言葉に込められた意味がどんなことか、相手にも理解できるはずだった。
 それは──
「……瀬戸先生は、生きていたよ」
「え……!?」
 かつて橋本と呼ばれていた目の前の殺人鬼は、その知らせを聞いて本当に驚いていた。目を丸くし、開いた口がふさがらない……瀬戸先生から、実は犯人ではないという報告を聞いた蒼木のように。立場は内容は違うけど、全く同じことが再現されている気分だった。
 そしてその反応を見て、蒼木はわずかにさえ残っていた希望も、可能性も、全て消えた。
「今日、学校の帰りにさ、瀬戸先生と会ったんだ。わかるよな、橋本……」
 本当は信じたくなかった。名も知らぬ、赤の他人が犯人ならどれだけ楽だったろう。ただ友人を殺された怒りをぶつければいいだけなのだから。
 本当は知りたくなかった。まだ、殺人に怯える毎日を生きているほうが良かった。
「……何でだ、蒼木」
 うなだれていた橋本は、うつむいたままの姿勢で蒼木に聞いた。
「何でだ、何で……何で何で、何で!あの女のほうに付く!」
「橋本……」
「そうさ、あいつらを殺したのは──俺だ!」
 橋本の顔から、笑みが消えた。
「殺したい。死ねばいいのに。そう思うときは何度もあったさ。あいつらは俺を、俺の人生を踏みにじった!命乞いをしても、平気で殴りかかってくるやつらだ!俺は毎日あいつらにイジめられてたよ……」
 喋りながら橋本は、一歩ずつ後ろに下がっていく。
「だから……殺したのか」
「あいつら、クラスで一丸となって俺だけを標的にして……三年間、毎日!どれだけ苦痛だったか、お前にはわからないだろう蒼木!いつも周りにチヤホヤされて、頭も良いお前に、俺がどんな気持ちで今まで生きてこれたか、お前にはわからねぇよ!」
 橋本の背中が一本の樹木に当たると、そこで下がるのをやめた。
「だからって殺すことは無いだろう!」
「ああそうさ!わざわざ殺してやる必要は無かった。でも俺は見ちまったんだよ、半年前に……平気でのうのうと、楽しげに生きているあいつらを見て、俺は怒りが抑えられなかった!わかるか……?俺は必死で生きてきたのに、あいつらは何も感じていない。罪悪感も!人間らしさもない!そんなやつらがこの街にいると思うと、次の日には殺してたよ」
 橋本の苦悩は計り知れないものだった。確かに蒼木にはイジめられた経験が無い。橋本がどんなに苦しんでいたか、どんなにつらかったか、橋本の口から聞いただけではわからない。
「でも……でもなぁ、橋本。お前にあいつらを殺していい権利なんて、あるはずがない」
「ある!それならあいつらにだって、俺を踏みにじる権利なんて無い!まさかお前……イジめる側の味方なのか?」
「違う!」
 蒼木が叫ぶと同時に、橋本は右手を上に上げ……『何か』に引っ張られるように、立った姿勢のまま、浮いた。真上に伸びていた一本の枝、そこに手がつくと、橋本は軽やかにその枝の上に乗った。
「最初はあの時、お前にも『能力』が発現したのかと思うと嬉しかった。でもそれが、俺の驚異になりそうだったから、びびって逃げたよ。あの方にはお前をなるべく生身のまま持ち帰るようにとおっしゃっていたが、お前には見損なったよ!」
「あの方……?」
 はっとなって気づく。橋本は瀬戸先生の言うとおり、あの金髪男に何かされたのか……?
「お前には関係ないね!どうせもう俺とお前は全く違う場所で生きている。お前もここで──殺す」
 橋本が登っていった木が激しく揺らぐと、そこにもう橋本の影は無かった。
「あの方って、イクシードっつー野郎のことか!?」
「黙れ!」
 ひゅんっと風を切る音と同時に、蒼木の左肩に激痛が走った。何かナイフのようなもので、浅くだが切られていた。
「くっ……」
「お前のそれは、触らないと効果が無いって聞いてるぞ。俺のこの『糸』は伸縮自在だからな、どこからでもお前を切り刻めるぜ!」
 今度は右足に激痛が走った。足に力が入らず、蒼木はしゃがみこんでしまった。太ももの部分がひどくえぐれている。
「くそ……」
「どうせその足じゃ立てねぇだろ、じわじわ苦しみながら死ね!」
 橋本の声はどこから聞こえてくるのかわからない。木々が声を共鳴させ、まるで近くにいるような、しかしすごく遠くにいるような声に感じた。おそらく木の上を移動しているのだろう、そしてこの暗闇の中、正確に橋本の姿をとらえることができない。
「橋本、何でだ……」
「くどい!お前に俺のつらさがわかってたまるか!」
 さらに背中にも痛みが走る。
「何で、だ……」

* * *

「……行くのか」
 すでに消灯時間を過ぎた病室内で、二人の男女が話し合っていた。
「ええ」
 女の方は、肩まで伸びた青い髪をなびかせ、白衣を着た。男の方は、短髪に無精髭というワイルドな顔をしていた。近寄りがたい怖さを放っている顔だった。
「あなたは来なくていいわ」
「ん……?一人でやれるのか?」
 女は白衣に袖を通し、窓の方を向いている。その身体はまだ、包帯に身を包まれていた。
「いいえ、一人ではないわ……」
 女が窓に手をかける。男はとくに動じず、ただじっと見ていた。
「どういうことだ?」
「蒼木君が待っている。もうすぐ雨が降るからね」
「雨、か……」
「次は確実にやってみせるわ」
 そう女が言うと、窓の外に身をひるがえし、飛び立った。
「おいおい、ここ何階だと思ってんだ……?」
 男は窓の下を見たが、すでに女の姿は無い。
「やれやれ」
 その窓から、桜光高校を見る。高い校舎と裏山の頂上しか見えないが、それでも男は桜光高校から目を離さない。
 雨がぽつぽつと降り始める。
 独り言をつぶやくわけでもなく、男はただその『戦場』を、遠くから観察していた。

* * *



 致命傷ぎりぎりの傷を負わされて、蒼木は地面にしゃがみこむのが精一杯だった。服は切り裂かれ、いたるところから血がにじんでいる。気絶しないのがおかしいぐらいだった。
 空にはもう一片の光も映さず、雨がぽつぽつと降り始めた。雨粒が傷口に当たるたびうめきそうになった。
 もう身動きはできないだろうと判断したのか、橋本は再び蒼木の前に姿を現した。
「クラスのやつらに殴られるたびに、俺は思ったよ」
 少し距離をとってはいるが、じりじりと近づいてくる。
「俺は何で生まれてきたんだろう、生きている意味なんてあったのかな、ってな」
 暗闇の中でも橋本がニヤついているのがわかる。あれは、強者が弱者を見下す目だ。
「俺なんて生きている意味が無い、いっそ死んでしまおうかと……でも、なんとか耐えれたんだ。死ぬ寸前まではなんとかがんばってこれた。でも、限界だった」
 声のトーンはもう、普段教室で聞いているような暖かいものではなかった。
「殺したときに思ったよ、自分の生まれた意味を。俺は復讐するために生まれたんだ」
「橋本……」
「俺は自分の居場所が欲しかった。自分を認めてくれる人が欲しかった。毎日殴られず、嫌味がられず、満足できる生活を与えられたかった。叶えてくれたのは、あの方だった」
「……」
「なぁ蒼木、お前にはわからないか……?わからないよな?何をやってもだめ、何をしてもだめ、誰からも愛してくれず……俺は、俺だけの居場所が欲しかった。お前には居場所があった。でも俺には無かった……」
 橋本の話を聞いて、蒼木は思った。実のところ、橋本は寂しがりやだったのだ。橋本の言っていることは本音なのだろう。きっと親からも満足に愛されていなかったに違いない。
 そしてそれが逆に、蒼木自身も寂しかった。
「……なら、ならなんで、俺に相談してくれなかった?」
「……」
「橋本は、自分が今までずっと一人だと思ってきたのか……?ならなんで俺に相談してくれなかったんだ、何で一人で抱え込んでいたんだ!」
 つまり橋本は、イジめられてきたことを理由に自分勝手にふさぎ込んでいるだけなのだ。
「一年の時、文化祭の準備をして居残りしてたとき……お前言ってたじゃねぇか。出会えて嬉しい、これが友達か……って。お前のことをちゃんと認めてる人間は、ここにも、俺たちのクラスにもいっぱいいるじゃねぇか!お前のそれは……情けをかけてもらおうと悲劇のヒロインを演じている、ただのわがまま野郎だ!」
「……」
「そんなにつらいなら何で一人で乗り越えようとした!?橋本は俺のことを信頼してくれてなかったのか?俺は橋本に裏切られたのか!?」
「うるさい!」
 蒼木の腹部にまた激痛が走った。
「結局お前は認めてくれないじゃないか……自分にとって邪魔な人間を殺して、何が悪い?お前に相談するときっと、ばかなことはやめろ、とでも言うんじゃないのか?もう誰の指図も受けねぇ」
 手を伸ばせば届きそうな距離で、橋本は足元を止めた。そしてゆっくりとした動作で、腕を……蒼木の頭に向けた。
「やっぱりお前は、こっち側の人間にはなれない。ここで細切れにしておいたほうが良さそうだな」
「やめろ、橋本……」
「さよならだ」
 その言葉と同時に、蒼木の人生は殺人鬼によって終わらされる──はずだった。
 雨の音だけが一瞬、この空気を支配した。
 橋本の腕は蒼木の頭に向けられたまま、身動きしない。いや……身動きできなかったのだ。
「どういうことだ……」
 橋本の顔は真っ青になっていた。肩が震えている。何が起こったのか理解できないといった顔だった。
「直接触らなければいいはずじゃ……」
 最後まで橋本の腕から、彼のその能力が射出されることはなかった。
 もしこの一部始終を『勝負』というのなら、すでに勝敗は決まっていた。橋本が蒼木の前に姿を現した、その時から──
「……初めて橋本が俺の異変に気づいたとき、バスの中は寒かっただろ?」
 蒼木は、身動きのとれない橋本に向かって、静かに解説をし始めた。まるで、蒼木が好きな推理小説に出てくる、名探偵のように。
「俺のCEED能力とやらはどうやら、触れたものだけじゃないらしい……俺のいる空間、全てだったんだ」
「何……」
 もちろん蒼木にも、まだ自分に起きた異変を完全に理解しているわけじゃない。だからこそ、自分なりに推理した。
「きっと俺の身体は今、とてつもなく冷たいんだと思う。だから触ったものはだいたい凍ってしまう……それなら、そんなに冷たいものが周りの空気に影響しないはずがない。氷に囲まれた部屋の中にいるようなもんだと思う。俺には、わからないけど」
「く、くそっ!」
 橋本は必死に腕を動かそうとした。しかしその腕にはもはや血は通っておらず、みるみる青ざめていく。
「でも氷に囲まれてるからって、生き物が凍ってしまうわけはない。マイナス五十度の世界でも人間は生きられるんだ……橋本の身体を凍らせたのは、雨さ」
 そう、彼が身動きできないのは、身体が完全に凍ってしまっているせいだった。蒼木が得た新しいCEED能力──『化学変化によって周囲の温度を大量に奪う』という力は、今彼に襲い掛かり、その力に圧倒されていたのだ。もちろん蒼木は、そのメカニズムをまだ知らない。
「嫌だ……」
「なぁ橋本、ちょっと考えればわかることだろう……何で、何でお前は……雨が降るとわかっていたはずなのに、俺がお前の正体をすでに知っていることとがわかっていたはずなのに、何でお前はここに来た?」
 橋本を呼んだのは蒼木だが、実はもしかすると来ないのではないかと疑ってもいた。本当に姿を消そうと思えば、蒼木になど会わずこの街から立ち去れば問題無く蒼木から逃げれたのに。
「うう……」
「お前の心配をしているんじゃない。でも俺がお前の立場だったら、きっとここには来なかった……あの金髪男に命令されたのか?」
 何を言っているのだろうと自分でも思ったが、本当に不思議でならなかったのだ。
「嫌だ……嫌だ……」
 目の前の殺人鬼は、もう我を忘れて発狂寸前だった。足のほうからすでに凍っており、靴も脱ぐことができない。
 蒼木の身体に近いほうから凍っていき……いずれ凍死してしまうだろう。
「……本当は、俺に助けて欲しかったんじゃないのか?」
「あ……あ……」
 殺人鬼の目は……泣いていた。
 涙だけは凍らず、雨のしずくとともに、流れて、落ちた。
 そして彼は、保健室の先生が見せた時と同じように、気絶した。
「……友達は良いものだって言ったのは、お前だったな」
 すでに反応しない彼を前に、なおも蒼木は喋り続けた。
「お前をイジめてたのは……俺の友達だったんだよ」
 やがて雨の強さは増し、本格的な大雨になった。
「市原が本当にお前のことをイジめてたのかは知らない……でも、お前が殺したのは、俺の友達だったよ」
 もう蒼木は、傷の痛みが気にならないようになっていた。
 蒼木もまた、いていた。
 その慟哭は、雨の音に溶け込んでいった。誰もその叫びを聞くことは出来なかった。
 それでも蒼木は、ただ哭き続けるしかなかった。
 遠くで、瀬戸絢華が蒼木の名前を呼ぶ声が聞こえた。

* * *

 翌日、桜光高校では授業を中止、全生徒を集めての集会を行ったあと、すぐに帰宅となった。橋本優と親しい人たちは、みな彼の入院している病院へ向かった。
 結局彼は、『神隠し』事件の十五人目の被害者として扱われた。
 とは言っても命に別状は無く、彼が殺されそうになったところを蒼木と瀬戸が発見した、ということになった。警察が現場検証をしているのを蒼木は見ていたが、彼の能力で発現してしまった氷の跡は、雨が綺麗に溶かしてくれていた。蒼木の血痕が見つかり、襲いかかった犯人につけられた傷だというウソをついてしまってからは、事情聴取が大変だった。それはなんとか瀬戸がフォローした。
 病室にいる彼は意識不明の状態が続いている。医者はこれを、心的外傷後ストレス症候群と呼んでいた。身の周りに思った以上のショックが起こり、それが原因でショック後も様々な症状が残る、という病気だ。一時的なものですぐに目は醒めるだろうと言ってはいたが、今のところ半日たっても起きる様子はない。
 彼の親は物凄く心配そうにしていた。泣き崩れはしなかったが、母親が泣きそうな顔をして医者に何かを言っているところを見たときは、さすがに胸が痛んだ。
 彼をあんな風にしたのは、実は俺なんだ。
 蒼木は最後まで誰かにそう告白することは無かった。
 午後からは病室がいつの間にか宴会場に変わっていた。個室というわけではなかったので同じ部屋で寝ている患者には物凄く迷惑だったが、皆学校がつぶれたりして大喜びだった。橋本を心配そうに見ている女子も少なからずいた。うちのクラスのほとんどが見舞いに来ていて、担任の安達先生も見舞いに来てた。
 未遂に終わったが連続殺人の被害者だと皆は聞いていたので、殺されなくて良かった、と安堵する男子もいた。
 皆、彼を心配して来てくれているのだった。
「これで本当に良かったんですか?」
 クラスメイトが彼のベッドを囲んでいるそばで、蒼木は瀬戸に話を聞いた。
 まだ瀬戸の包帯は取れておらず、彼女もしばらくはこの病院で安静することになっている。
「まぁ……しばらくは余計に騒ぎ出すでしょうね、なんたってうちの学校で被害者が出たってことになったんだから。警備も厳しくなると思うわ」
「橋本が犯人って公表するわけにはいかなかったんですかね」
「連続殺人犯の犯人が高校生だと知られたら、それこそパニックを起こすわよ。犯人はいまだ見つからず、しかし事件は起きず。このパターンが今は最適なのよ」
「でも……すごいですね」
「何が?」
「犯人はどんな顔だったかとか、どこへ逃げたとか、どんな物で傷つけられたとか。全部先生が答えてくれたんでしょ?よくあんなにウソつけるなぁと」
 最初はマスコミを操ったりしていたのかと思ったが、本当に情報操作したのか、ただ警察にウソを話しただけなのかは、蒼木は知らない。けれど、このCEEDとかいうおかしな力を研究していたりしてるこの人なら、情報操作もやりかねないのではと思った。でもウソもつきかねないだろうなとも思った。
「ただ単に、ムカついてる上司の顔とか友人の顔とかを思い浮かべればいいのよ。そしたら自然と口に出ていたわよ?ストレス発散になったわ」
 悪気も無く言う彼女を見て、蒼木は苦笑した。
 もう日没も近いというのに、病室に来るクラスメイトの数は一向に減らない。いやむしろ増えている気さえする。
 看護士に怒られている生徒を見て、ざまぁみろ、と思った。
「橋本も……十分幸せ者ですよ」
「そうね……」
 彼は最後に、周りに誰もいないだとか、愛されてないだとか言っていた。しかし彼は本当は一人では無かった。彼は気づいていないだけだった。誰にも愛されていないのではなく、彼自身が誰かを愛するということを拒絶していたことを──
「お前、こんなにも沢山の人に心配されて、良かったな」
 眠っている橋本に、素直な気持ちを話した。
「お前はこんなにも愛されていたんだぞ、知ってたか?橋本……」
 自分の気持ちを整理できずに周りの人の気持ちを整理できるはずもなかった。彼はそれ故に、自分で自分を傷つけ、自分から落ちていったのだ。プライドも、自分自身も、何もかもを失ってまで──
 しかしもう、彼を怖がらせるものは何も無いだろう。
 彼を待っている人間が、沢山いるのだから。
「お、蒼木!」
 病室に馴染みの顔が来た。いつものメンバーだ。
「先に行ってるなら言えよ、麻奈ちゃんと一緒にわざわざお前の家まで行ったんだからな」
 そう言われて腕を引っ張られてる水城と、横には津田もいた。
「あ、えと……」
 水城とは顔を合わせづらかったが、皆見ているので引くわけにもいかなかった。
「い、いよう」
「……元気になったのね」
「あ、あぁ、まぁな。心配かけてすまんかった」
「ううん、いいの」
 しばらく二人にしかわからない会話だったので、元谷が横から茶々を入れてきた。
「お、どうしたぁ?お前ら、何かあったのか?」
「別にそんなんじゃねぇよ、な?」
「う、うん」
 唐金も新崎も、ニヤニヤしながらひじでつついてくる。
「な、なんだよお前ら」
「いやぁ、別にぃ?」
「そんじゃま、仲直り記念にぱぁーっとやりましょうか!」
「け、喧嘩なんかしてねぇよ!つかまだ、怪我治ってないんですけど」
 こうして彼らは、時間も忘れて笑い合い、事件のことや橋本のこと、蒼木と水城のことを語り合った。皆で橋本を囲みながら。
 夕日に照らされ、いつものように室内はオレンジ色に染まっていた。
 その時の彼らは、永遠の明るさを放っているようにも見えた。



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10:序幕 あとがき