LastEclipse 第一章:失墜のプライド7 【長編小説】| ページ内の末尾へ |


対峙〜confront〜

──これから起こる生死を賭けた戦いを知るものは──

* * *

 瀬戸絢華が被害者たちに共通するパターンを見つけたのは、五人目の被害者が出たときに『上』からの捜索願いを出されたときだった。
 一人目はどこにでもあるただの殺人事件。警察が対処してくれるだろうと思っていたが、犯人は見つからなかった。死体がミンチよりも細かい状態になっており、学生証を持っていなければ身元確認は大幅に遅れていたと報道された。
 二人目の被害者は、一人目が殺害されてから二週間ほどだったあとだ。マスコミはテレビで、またも同様の殺人、犯人はいまだ捕まえられずと報道していた。
 三人目の被害者──市原和人も同様に殺され、また一人目や二人目と同様程度の内容にしか報道されなかった。
 この時点である二つの共通点を発見した。被害者の年齢が同じということと、殺人が行われたのは常に夜八時以降を回っていたこと。性別の共通点はこの時点では考えられていなかった。
 四人目、五人目も二週間おきに同様の条件で殺され、出身中学が全て同じだという共通点を見つけ出した。これは十四人の被害者を出す今でもテレビでは報道されておらず、おそらく住民の混乱を防ぐためのものなのかは定かではないが、もし報道されていればもしかすると被害者が減ったのではないかと思う。
 そのときついに、『上』は瀬戸に対してこの事件の捜査を命じたのだ。犯人がただの殺人狂であれば、彼女の能力をもってすればすぐに捕まえられる。
 尾行を開始したのは五人目の被害者が出たあとだった。一人で捜査するよう命じられたため、十数人もいる次の被害者候補の中から狙われそうな人を見つけるのは至難だった。
 六人目は、これもまた二週間後にあっけなく殺される。尾行していた人と違う人が殺された。そのとき彼女は、もしかしたら助けれたのではないかと自分の行動に責任を感じた。
 七、八、九……被害者の数は増える一方で、彼女は次第に疲れ果てていた。肉体的にではなく、精神的に。『上』からの命令で、仕事とはいえ自分の守っている命が無残に殺される居心地は最悪だった。こんなつらい仕事、投げ出したくなるのも当然だ。
 九人目の被害者が出て数日……『上』は瀬戸に新たな発表をした。脱走者イクシードが桜光高校あたりの地域に姿を現したということと、被害者には性別が男という共通点があるということを。
 後者は別に聞かなくてもわかる。これだけ被害者が出て全員男とあれば、誰でも容易にわかる。問題は、『脱走者』と言われたイクシードが、彼女の捜査範囲内で目撃されたということだった。
 CEED──そう称された人間は高い知能と人外に及んだ力、すなわち『CEED能力』というものを手に入れることができる。略して『能力』と呼ぶのが一般的だ。
 生まれつきの才能でしか存在しないはずのそのCEEDが、イクシードは自分の能力で他人のプロウィルスを覚醒させ、CEEDと同じ体質にさせる能力を持っていた。すなわち、自分の力で兵器並の巨大な力を持つ人間を生み出すことが出来るのだ。
 そんなやつが平然と街を歩けば、どうなるだろうか?彼の能力によって目覚めさせられたCEEDがもし自分勝手に能力を使えばどうなるだろうか?『神隠し』のような大量殺人も可能だし、完全犯罪や不可能犯罪なども可能にしてみせることができるのだ。しかもそれが、大量に行われるわけである。
 イクシードはその昔、瀬戸自身も知っているわけではないが、彼女の所属している組織内で組織内の仲間を殺してしまうという重罪を犯したらしい。同じ組織内にいたもう一人のCEEDと組織から逃げ出し、以後消息がつかめなかったと聞いた。もちろん一般人にとってかなりの危険がある存在の逃亡を『上』は許すはずがなく、全力で阻止した。だが、たった二人のCEEDに、組織にいたCEEDはほとんど壊滅させられた。イクシード自身は戦闘力などあまりないのだが、そのもう一人のCEEDというのがとてつもなく強かったらしい。無駄にCEEDを殺してしまうのは組織としても都合が悪かったので、あきらめるしかなかった。彼らとまともに戦いあうならば、この国は戦場と化していただろうとまで言われているほど恐れられていた。
 ──イクシードを阻止しようとして殺された一人の中に、瀬戸の身内がいたのだ。
 だから彼女はその知らせを聞いたとき、イクシードを野放しにしてはいけないと再び捜査に熱意を出した。蒼木が、市原のためにがんばってきたのと同じように。
 またイクシードの出現が明らかになったことで、もしかするとこの事件の犯人は、イクシードが突飛的に能力を生み出させた新しいCEEDによるものかもしれないと考えた。
 しかし十人目の被害者も救うことは出来なかった。またも尾行していた人とは違う人が殺されたのだ。
 それでも諦めず捜査を続けた。十一人、十二人と被害者を出してしまうが、そのとき瀬戸は犯人のおかしな行動に気が付いた。
 十人目からの犯罪は、二週間おきではなくなっていた。九人目からの犯行から一週間とたっておらず、十一人目は一週間程度。十二人目も、十一人目が殺害されてからすぐのことだった。
 十三人目に限っては、十二人目の被害者が出てから三日しかたっていなかった。
 ──もしかして犯人は、あせっている?
 それまで規則正しかったのが、ここにきて急に犯行に及んだ日数が減ってきている。犯人の身に何かあったのだろうか。
 そしてその次の日、十四人目の被害者候補を尾行しているとき……ついに見たのだ、犯人の姿を。
 身長はおよそ百七十センチメートルぐらい。その身体つきから男だということがわかった。暗がりだったので顔は見えない。
 見つけたのは、その被害者候補が犯人と接触したとき。十四人目にして、ついに犯人と対峙することができた。もちろん犯行を阻止しようとして、戦った。
 瀬戸絢華の、人外に及ぶ力──『CEED能力』は、名前を”ライトニング・ラピッド”と言う。
 彼女が副職を勤める学校で生徒たちからチーターと呼ばれているのは、実はそのとおりだったと言っても過言ではない。この世で生きている全ての生き物で、陸上を最も速く走ることが出来る動物はチーターだ。短距離ではあるが時速百十キロで走ることができる。秒速に置き換えると、一秒間で三十メートルも走ることが可能なのだ。
 自分の身体を、本来は出すことのできない人間の限界点ぎりぎりまでを自在に使うことができるCEEDたちは、それら他の動物よりもずば抜けて優れた身体能力を持つ。その中でも瀬戸の”ライトニング・ラピッド”は、とくに脚力に特化した能力だ。垂直跳びなら、本気を出せば二階建ての高さにも匹敵するほど高く跳び、短距離走ならゼロ地点から一秒間の間に四十メートルも五十メートルもの距離を走ることができる。
 使い手が女性なだけにそれ以上の脚力や持久力を補うことは難しいが、彼女の能力を使えばオリンピック選手など相手ではない。たった十秒で五百メートル先にも到達することができるのだから。
 そしてその”ライトニング・ラピッド”を使えば脚力が大幅に上昇するわけだから、その脚で回し蹴りをしようものなら相手の身体は数メートルも吹っ飛んでしまうほどの威力だろう。跳びひざ蹴りなんかされたら、相手の骨は粉々に砕いてしまう。テコンドー部の顧問をしているふりをして、こっそり足技に磨きをかけているのもそのせいだ。
 組織内でも瞬発力においては右に出るものはいない、そんな彼女でもその犯人に勝つことはできなかった。
 犯人に近づこうとすると、何か糸のようなものでさえぎられて腕を負傷してしまった。軽い切り傷で済んだのはいいが、それ以上近づけば自分の身体がスライスされてしまうところだった。暗闇の中極細ワイヤーを視認するのは難しく、相手の攻撃が読めないまま相手を逃がしてしまった。
 そして……追いついたと思えば、そこにはすでに死体しかなかった。
 そのときにはもう、蒼木が尾行していたのは気づいていた、というわけである。
 イクシードのせいで蒼木があんな身体になってしまったのは、瀬戸自身のせいでもある。それだけに余計に、次は絶対に捕まえるという信念があった。一応多少のことは蒼木本人に説明したけれど、彼を自分の戦いに巻き込むのは嫌だった。巻き添えにしたくないというのもあるし、自分ひとりで決着をつけたいとも思ったからだ。
 蒼木よりも堅いその信念のもと、瀬戸絢華は被害者候補を尾行するとともに犯人をもう一度捕まえるために、あの後蒼木と別れてすぐ尾行を再開した。
 これまでの被害者の共通点で、彼らはみな茶髪だったり変にピアス穴を開けていたりと、中学では本来禁止されているはずの身だしなみを昔からしていた人ばかりだ。素行も良くないという評判も聞いている。これらは『上』の報告や命令とは別に、瀬戸が独自で調べたことだった。
 被害者候補に挙がっていた、そういった目立った生徒はあと二人いた。どちらか一人と犯人が接触してしまうのなら、確率は五十パーセントであろう。それに尾行した日に犯人が接触して来ないときもあったのだ。そう考えると、自分が犯人と接触する確率は三十パーセント以下……というのが『上』の計算である。
 しかし瀬戸の答えは、今夜百パーセントこっちの被害者候補の元にやってくるだろうという確固たる確信があった。『上』の命令では報告されていないことだったが、被害者たちはそれぞれあいうえお順に殺害されていった。あ、の付く人から始まっているし、間違いない。今回狙われそうな人はこっちだという人に尾行している。
 そして犯人は、だんだんと犯罪を起こす間隔を減らしてきている。前回にいたっては一日置きに殺されたのだ。次も一日置きに殺される可能性は極めて高い。となると今日しかない。
 これ以上被害者を出さないためにも──今日、決着をつける必要がある。


 その男を尾行して、もう四時間近くたつ。すでに日は沈み真っ暗で、その男は友人と思われる人々と繁華街で遊んでいた。
 ちなみに瀬戸は、尾行を開始してから一食も食べてはいない。
 腹の音が鳴ろうとも、その男が一人になるのをずっと待っていた。
 ……ついにその時がやってきた。
 繁華街を抜けて一つ道を曲がれば、そこは一瞬にして暗黒へと変わった。
 その被害者候補の影は、複数でゲームセンターを出たあと別れ、すぐわきの路地裏に入っていった。
 警戒しつつも、その影の後を追う。
 だんだん歩いていると、電気の一つもない小さな廃屋はいおくに影は入っていった。
 街から少し離れた、他の住宅とたいして変わらない一軒家。しかしその家の表札は無く、ドアも開いたままだった。人の気配は感じられない。あの影以外は……
 瀬戸も影と同じように家の中に入る。
 コンクリートの壁はぼろぼろに崩れ、床にはホコリがたまっている。木造ではないが古そうな家で、数年も前から人が住んでいないような気がする。
 木の床を歩くと、みしみしと音が聞こえてくる。電灯はなく、空から漏れる月明かりがわずかに部屋の中を照らしていた。
 廊下についてある窓を覗くと、まんまるの月が白く光っていた。
 立ち止まると音も止まる。風もない。目を閉じて、神経を集中させる。
 瀬戸はただ進化した脚力を持つだけでなく、戦闘用にきたえられた感覚神経を持つ。
 彼女の所属する組織の中で、CEED能力が戦闘向きの者は対CEED用に戦闘訓練を受けさせられる。逃亡者イクシードを捕捉ほそくするため、またイクシードが作り出した他のCEEDたちにも対応できるためだ。
 ”ライトニング・ラピッド”によって身につけた素早さのおかげで、彼女の動体視力は最大速度で目の前を移動する新幹線の中の座席番号まで一つ一つ読み出せる。暗闇でなければ細い糸であろうとも視認できるが、月明かりだけでは頼りにできない。
 もし糸がなんらかの方法によって高速で射出されているとすれば、風を切る鋭い音がする。野球でバットをフルスイングするとき出る音に似ている。
 耳を澄ます。足音が聞こえる。
 その音は、上から聞こえる。二階にいるらしい。
 廊下を突き当たりまで歩くと、階段があった。一段上がるたび、みし、みしと不気味な音を立てる。
 緊張はしていない。今まで何度もこういう経験をしてきた。瀬戸の思っていたとおり犯人が本当に十七歳であれば、相手は子供なんだからむしろこちらが手加減してしまいそうである。
 しかし警戒は解かない。
 傷を負い、さらに一度取り逃がしてしまっている。瀬戸の脚では誰が相手でもたいてい追いつくので、子供とはいえ相当な相手だということは覚悟している。
 二階にさしかかる。
 また長い廊下が続き、その廊下の先にはあの影が立っていた。
 月明かりに照らされ、顔や服装がよく見える。ただ、暗い。
 反射して光るその目は、異様にぎらぎらしている。
 ハイエナがチーターを捕らえるような、鋭い目つき……
 瀬戸は、その影の五メートルほど手前の位置で脚を止めた。
「賭けだったの」
 その影に向かって瀬戸は喋った。
「『犯人候補』は、二人いてね」
 影は何も言わない。瀬戸も答えを期待していないのか、続けて喋る。
「最初は、どちらが犯人かわからなかった。『被害者候補』でもあったから、どっちも尾行するつもりだった。たまたま先に尾行したあなたが、見事当たりくじを引いたわけ」
「……」
「犯人は桜光高校の中にいるというのはすぐにわかったわ。そして……『神隠し』の被害者は、出身中学が全て第三東だいさんひがし中学だった。桜光高校の二年生で、第三東中学から入学してきた生徒は二人だけ。あなたと同じ中学だったんだから、知ってるわよね?」
 影の身体がぴくっと揺れた。
「あなたに攻撃された、あのあと……もう一度、殺人現場のあった場所をよく調べたわ。するとどういうことか、その場所を結ぶと確かに桜光高校を中心に綺麗な円を描くことがわかった。でも三つか四つ、その場所がある地区付近に集中してることがわかったの。ニュースでもやってたわよね」
 するといきなり、細い糸のような何かが影から瀬戸の顔めがけて飛んできた。瀬戸は避けない。頬に血が一筋流れた。
「そう、あなたの家の近くに、やけに集中していた。この犯行、あまり計画性はなかったようね。殺人鬼でも、子供は子供、か」
「……黙れ」
 影が口を開いた。
「動機は逆恨みってわけ?いじめの対象にされていたのかしら。かわいそうな子」
 言い終わると同時に瀬戸はとっさに身をかがめた。
 頭上で一瞬、一筋の線がキラリと光った。一秒でも遅れていたら、首をかっ切られていただろう。
「やっぱりその糸は、あなたの能力のようね」
 そのままの姿勢から、陸上選手が行うクラウチングスタートのような体勢に変わった。瀬戸の能力は、人間の動体視力ではとらえることは決してできないほどの瞬発力を誇る。いくら五感が常人より優れているCEEDでも、可視するのは難しい。
蜘蛛くも男……スパイダーマンってとこかしら、今更流行らないわよ?」
 今度は勢いよくジャンプした。糸が瀬戸を襲う。
 しかし廊下だけに狭い。上下に避けることはできても左右には避けれない。
 喋っていても無駄だと思った瀬戸は、着地と同時に瞬時に影のふところに入ろうとして……寸前で止まった。
「……糸で防御するのは当たり前ってわけよね」
 影がすぐ五十センチメートル先にいるというところで、瀬戸は臨戦態勢を崩さない。影の前には、まるで蜘蛛の巣を思わせるような網状の糸が守っていた。触れば切れてしまうほどの細さと張力がある。
 そして今度は、その影が瀬戸に喋りかける。
「あんたのそれは、接近戦にしか向いていない。こうやってバリアをっておけば攻撃することはできない……そして」
 暗さに眼が慣れてくると、月明かりの反射によって見えなかったものが見えてくるようになった。
 廊下中の壁の、いたるところに張り巡らされた糸がある。後ろを向くと、いつの間にか階段のほうにも糸がかかっている。
 しかし、瀬戸の顔はまだ余裕の表情だった。
 いつの間にか、手にはビンを持っていた。
「蜘蛛の出す糸って、実は毛と同じような性質なのよ」
「……だから何だ」
 影は無表情で瀬戸を見下ろしている。
 瀬戸はかがみながら、その影からは見えない死角で……ライターに火をつけた。
 ビンの先端から出ている紙に、火をつけようとして……
「燃えやすいって言ってるのよ!」
 もしその糸が蜘蛛の持っている糸と同じような性質であれば、少なからず粘着質も持っているはずだ。その繊維は熱に弱く、火であぶるとたちまち溶けてしまう。
 瀬戸は、その手に持っていたビン──火炎瓶を、その影に向かって投げようとした。
 今、ここで確実に倒す。瀬戸の頭にはそれしかなかった。
 だから……だから、任務中にはいつも周囲に警戒をおこたらない彼女も、この時はその存在に気づかなかった。
 瀬戸の手から、その火炎瓶が投げられることはなかった。
 口を動かすこともできない。
 瀬戸の顔に、初めて動揺が現れた。
「……あんたをここに誘い込んだのは、この糸の結界を張る準備をしていただけじゃない」
 影は、瀬戸に冷たく言い放った。
「挟み撃ちにするためだ」
 瀬戸の背の階段の方から、もう一つ足音が聞こえた。
 この家の住人?いや違う、表札はない。もうこの家に住人はいない。不動産屋か?こんな夜中に業者が来るはずもない。
 瀬戸は、標的を尾行している時、自分が尾行されている可能性に全く気づけなかった。二度と繰り返せない任務の失敗、その責任が彼女を油断させたのだ。本来は警戒していなければならないはずなのに。
 それに本来、いつも『あいつ』はこんな真似はしない。たいていいつも、そばにいる変な女と一緒にいるときは、尾行なんていうこそこそした行為は絶対しない。
 しかし足音は一つしか聞こえない。
 『あいつ』はもともと、一人で外を歩くようなことはしない。
 一人で歩くと危険だからだ。逃亡者であり殺人犯。いつ自分が追っ手に捕まるかもしれないのに、そんなミスを犯す相手ではない。
 それともやはり、今回も一人で行動していないとすれば?この犯人と共に、最初から瀬戸が動いているのを二人でマークすれば、最初から二人で行動していたことになる。
 その可能性に気づけなかった。
 口や顔の表情は動かせなくても、瀬戸のあきらか動揺ぶりはその犯人にも伝わった。
 その影は、瀬戸の後ろに立っていたもう一人の影に小さく礼をした。
「相変わらず、ぎりぎりのところで登場するんですね。イクシードさん」
 暗闇の中でもサングラスをかけている『あいつ』は、瀬戸のほうを見てにやりと笑った。

* * *

 木曜日と聞くと、なんだかどっと疲れたような気がする。
 月曜日は、前の週よりは勉強とかがんばってみようと思ってみるけど結局いつもどおりの授業で。
 火曜日は中途半端だと思う。何かと眠気を誘う授業も多い。
 水曜日と金曜日は、なんだか普段より張り切れるような気がする。とくに金曜は、次の日からゆっくりできると思うとなおさらだ。
 桜光高校は私立だから、土曜日にも授業はあるんだけれども。
 木曜日は、なんだろう。やる気が出ない。火曜日よりも。
 太陽もどこかぼんやりしているような感じで、他の日よりもほんの少し教室が静かなような気がして、それに……まだ金曜日があるのかと思うと、疲れるのだ。精神的に。
 そんな蒼木にも、もう何百度目かさえわからない木曜日の朝がやってくる。
 実は昨晩からあまり寝ていない。眼をつぶって考えることが多く、寝付けられない。CEEDとは何なんだろう、瀬戸先生は何者なんだろう、自分の身体に起こった異変は何なんだろう。そればかりずっと考えていた。
 とある学生が主人公で、先生が実は助っ人で、敵は意外にも親友だったりする。そんなSF小説を見たことがある。
(ありがちすぎだろ、この展開……)
 少年向けの漫画とかによくありがちなのは、最初から全てを知ってそうな大人がいて、主人公を助けたりすると思えば微妙なアドバイスしかしてくれなかったりするものだ。そういう大人たちが主人公の代わりに戦えばいいのに、とか、絶対に大人たちのほうが頭も体力も優れているのに子供たちが舞台だったりとか。
 最近集めている少年漫画のストーリーを思い出す。
(アイスマン、か)
 結局、瀬戸先生の話を聞いてからは異変らしい異変は起きていない。まるで夢でも見ているかのようだった。
 でもやっぱりそれは現実なんだなと悟る。
 変な二人組が話しかけてきたり、橋本を怖がらせてしまったり、保健室の先生を失神させてしまったり、犯人だと思っていた瀬戸先生が実は犯人じゃなかったり……全部実際に起こったことだ。
 そして事件は、振り出しに戻ったということ。
 瀬戸先生は言っていたが、必ずしも犯人が十七歳という可能性はない。可能性が高い、という話であって、実際十七歳の人間があんな大量虐殺を行えるだろうか。
 でも、同じ学校の同じクラスメイトだった生徒が被害者だと言うなら、市原の通っていた第三東中学にいた関係者であることは間違いないことであった。全く無関係の人間が、そんなことをするとも思えない。
 それに人を殺す動機は、たいていなんらかの憎しみや欲求があってこそ成り立つ。面白半分、なんていうのはごくまれだ。
 先生が被害者、つまりかつての生徒たちにいじめられていたとか。本当に犯人がその生徒のうちの一人なら……ありうる。
 振り出しに戻ったのではない、むしろさらなる核心へ近づいてしまったのだ。
 いじめが原因でクラスメイトや親を殺す子供も少なくはない。もしその子供が、俺と同じようにある日突然おかしな能力を手に入れたら?
 状況が状況なら、もしかすると……殺してしまうかもしれない。氷漬けにしてしまえば犯行は可能だし、一般人では永遠に解けない不可能犯罪となりえる。
 まさか、本当にそうだと言うのか?
 瀬戸先生への推理がはずれたのもあって、なんだか今は自分の考えが信じがたい。でも考えれば考えるほど、自分の中でまた別の答えがどんどん積み重なっていく。
 もともとそういう性格だけに、推理していくのを楽しく思えることさえある。
 それでも切り替えは早い。朝食を済ませるとすぐ学校へ向かうバス乗り場に行った。
 昨日は学校には行ったけど、結局出席はとられてないわけで……欠席したことになってしまう。
 保健室の先生にも悪いことをした。色々面倒なことが多そうだ。
 バスに乗って、一番前の席へ座る。そしていつものように新聞を読む。
 テレビもあまり見ていなくて、何か変わったことはあるかと期待したものだが、それほど変わったことはない。
 しかし眼を通してみると、『お笑い芸人のS、できちゃった結婚 お相手はなんと大女優のK氏」と書いてある。いかにも彼女なんていなさそうな芸人だったので、この記事は意外だった。
 でもそれ以上のスクープは何もないようだ。
 政治のほうでもたいした動きはなく、他国との均衡状態が続いている。良いことだ。
 しばらく新聞に夢中になっていると、もう桜光高校前に着いたようだ。今日は橋本の姿はない。
 どんな顔をして会えばいいのかわからなかったので、ここで会わなくて良かったとも思っていた。すでに教室にいるのだろうか、それとも次のバスで来るのか。
 バスを降り、少し歩くとなじみの顔があったので声をかける。
「よう、新崎にいざき!」
 新崎と呼ばれたその男子生徒は、こちらに気づくと手を振り返してくれた。
「お、蒼木ぃ。久しぶりだな」
「二日休んだぐらいで久しぶりはないだろうよ」
 軽い口調で笑ってみせた。
「いや、勉強熱心なお前がよ。あれ、今日は橋本は?」
「今朝は見てないな」
「そうかい、お前ら結構お似合いだったのにな」
「どういう意味だよ!」
 からかっているようにしか見えないこの男、新崎慎吾しんごは、蒼木と同じクラスメイトだ。二年の頃から一緒のクラスになり、だんだんといい仲になっていった。 「そういやお前が休んでるとき、ちょうど安達先生から抜き打ちの小テストあったんだぜ」
「まじかよ」
「休んでで良かったな、蒼木だけテストなくてよ」
 新崎がうらやましそうな眼で蒼木を見る。
「良くねぇよ、その分ノート書き写さねぇと。あーめんどくせぇ」
「まぁたまにはいいじゃねぇかよ、休むのも。そのかわり、皆勤賞かいきんしょうはとれねーけどな」
「むー、くそう」
 蒼木は本当に悔しそうな顔をしている。新崎は、それを見るのが面白い。
 正門をくぐり自分たちの教室へ行くため階段を登っている時、新崎が思い出したように蒼木に言う。
「そういえばよ、昨日橋本が言ってたんだけど、お前学校に来てたんだって?」
「ん、あ、ああ……」
「なんで学校に来てすぐ帰ったんだ?カバンも置きっぱって聞いたし」
 どう答えようか少し迷った。橋本は相当慌てていた様子だったし、ていうか何であんなに慌てていたのかは知らないけど、よほど自分の身体が冷たかったらしい。何かおかしなことを話されたら困る。
「うーん……」
「言えないことなのか?」
「いや……まぁ、色々あったんだよ。うん」
「ふぅん」
 少し立ち止まった新崎は、また階段を登り始めた。
「言いにくいんなら、聞かないでおくよ」
「サンキュな」
 変につっかかってこない奴で良かったと、素直に思う。
「身体はもう大丈夫なのか?水城さん、心配だとか言って早引きするし」
「……またあいつかよ」
「はっ、心配性の彼女がいてくれて嬉しいだろ」
 新崎は横目で、階段の上からにやにや見てきた。
「いやいや、あれはあれで疲れるんだよ。あんまり寄ってこられるとなぁ」
「モテる男はつらいってか」
「うっせ」
 笑いながら教室に入ると、しかし教室の中はずいぶん静かだった。
 学年末試験まであと十日を切った。皆勉強に猛熱心だ。
「んじゃ……俺もしなきゃいけねぇ問題集あるから、やってくるわ」
「おう」
 新崎は自分の席に戻っていった。
 蒼木も席に着く。
「よっ、おひさ」
 後ろに座っていた元谷に声をかけられる。
「なんだよおひさって、嫌味かそれ」
「だってお前、熱でも学校来るだろ」
「そう言う元谷は、ピンピンしてても来ねぇだろうが」
「言えてる」
 相変わらず元谷は軽い。あんまり気にしていないようだ。
「唐金は……まだ来てないのか」
「そのうち来るっしょ、それよりちょい新聞見せて」
 有無を言う間もなく、勝手に新聞を取っていく。
「んー……あんまり面白いテレビねぇな」
「お前もちょっとは勉強しろよ、留年しても知らんぞ」
 心配そうに言うと、元谷が自慢げに
「あぁ、カンペ作っとくから大丈夫大丈夫、赤点とらなきゃいいんだろ?」
 と調子に乗った発現をする。
「心配するだけ損か」
「そーそー、蒼木くんは彼女のことだけを心配し……お、唐金が来た」
「おい今なんつったお前」
「んー?」
 わざととぼけたような顔をして、教室に入ってきた唐金のほうを向いた。
「おはよう!」
「ん、あぁおはよ……蒼木、来たのか!」
 蒼木の姿を見るなり、唐金まで眼を丸くしている。そんなに珍しいのか。
「お前ら大げさだってほんと。二日ぐらい休むやつなんて他にもいるだろ普通に」
「いやまぁそうだけど……橋本が何か、上の空でぶつぶつつぶやいてるんで、何かあったのかと……」
「橋本が?」
 やはり何か言っていたのだろうか、上の空とはどういうことだろう。
「なーんか、教室入ってくるなりずっとうつむいてて……蒼木がどーとか言ってたぞ、何かしたのか?昨日の朝は一緒に学校来たんだろ?」
 唐金がやけに真剣な顔をして聞いてくる。
 ふいに、自分の手を触ったときの橋本の顔を思い出す。
「いや……俺は別に、何もしてねぇ」
「ほんとか?だいたい昨日、なんで帰ったんだよ」
「う、うーん」
「まぁいいじゃねーかよ別に」
 後ろから元谷が口をはさむ。
「あれだろ、具合が悪くなったんだろ?病み上がりなんだし注意しろよな」
「……そうなのか?蒼木」
「え、ええと……うん、そゆこと」
 気持ちを察してくれたのだろうか、本当にどうでもよかったのかはわからない。
「心配させんなよ、ほんと。麻奈ちゃんにも言われてるんだろ?」
「……う、うるせぇな」
 それ以上追求する気がなくなった唐金は、自分の席に座っていった。
 といっても隣なので距離は変わらないのだが。イスに座ったままこちらを見て、むっとしている。
「な、なんだよ」
「いや別に……」
「俺が休むのがそんなに珍しいかぁ?」
「うん、珍しい」
 その問いに答えたのは、後ろにいた元谷だ。
「……はぁ」
 蒼木はなんだかやるせない気持ちで教科書を出す。
 そのとき、チャイムが鳴った。
 時計を見ると、朝のショートホームルームの時間だ。
 静かだった教室の中も、ほんの少しざわつく。
 蒼木は黙って、担任の安達先生が来るのを待った。
「橋本、来ないな」
 唐金が何か思うように言う。
「バスの中では一緒に会わなかったな」
「そうなのか」
「うん」
「……なあ」
「ん?」
 今度は蒼木が唐金に聞く。
「昨日、橋本と喋ったのか?」
「いや……喋ってないな。一人で上の空だった」
「そか……」
 橋本に会ったらどう言おう、あんなに驚かれるとは思わなかったからな……
「先生来たぞ」
「お」
 いつの間にか教壇に安達先生が立っていた。蒼木に気づいたのか、眼が合う。
「今日は学校来たのか、おはよう」
「おはようございます」
 蒼木は小さく会釈して、一時間目の授業の用意をし始めた。
「えーっと……急なんだけど、ちょっと話がある」
 安達先生のその言葉には、なんだかすごく重い感じがした。
「今日からしばらく、物理の授業はなしだ」
 それを聞いた生徒たちは、次々にざわつきはじめる。えーとか、やったーとか言う生徒もいた。
 元谷は睡眠時間が増えるのが嬉しいのか、すごくハイテンションだ。
 唐金は何も動じない。どうでもいいのだろうか。
 ただ、蒼木だけは他の生徒の誰とも違う表情をしていた。信じられないといった顔だ。
「せ、瀬戸先生に何かあったんですか……?」
「なんでも事故に合われたんだと。昨日の夜、道路で倒れてるのを見た人がいたんだってさ」
 あっさりと言ってのける安達先生だったが、冗談ではないということはわかった。
「そういうわけでしばらく入院するらしいんで、当分物理の授業は自習だ」
 ざわつきが歓声に変わる生徒もいた。よほど瀬戸先生の授業がなくなるのが嬉しいらしい。
「あ、あの」
「ん、なんだ蒼木」
「もうちょっと詳しく教えてくれませんか」
 何を言ってるのかと自分でも思ったが、クラスの視線を集めても気にするゆとりはない。
「詳しくって、今言ったじゃない。それ以上のことは、私にゃ知らない」
「そう、ですか」
「なんだ蒼木、瀬戸先生の授業が好きなのか?」
 落ち込む蒼木を見て、元谷がちゃちゃを入れる。
「そんなんじゃ……ねぇよ」
 元谷をよそに、蒼木は動揺を隠せない。
 事故?あの瀬戸先生が?
 俺の推理だと……あんな変なことを知っている人間がただの事故に合うはずがない。瀬戸先生は、自分がCEEDだと言っていた。ということは、俺みたいな特異な能力が何かあるに違いない。
 それとも、偶然、なのか……青信号を渡っていて、赤信号を無視した車か何かが突っ込んでくるとか。それならとっさに反応もできない、ありえないことじゃない。
 それに瀬戸先生が何も知らない一般人なら、俺も何の反応もしないだろうし、普通に、ああ事故なんだなと思うぐらいかもしれない。でも、違う。何かがひっかかる。
「瀬戸先生は、どこに入院してるんですか!?」
「な……どうしたいきなり」
 蒼木の怒鳴りっぷりに安達先生があっけらかんとしている。他の生徒もざわつかなくなった。
 蒼木にはそんなことはどうでもよかった。
「瀬戸先生のいる病院を、教えてください」
「なんで蒼木がそんなことを……」
「いいから!」
 タメ口すれすれで怒鳴る蒼木を安達先生が見たのは、これが初めてに違いない。いつだっていい子いい子してた蒼木の反応に困っているのか、しばらく沈黙が続いた。
 その微妙な重い空気に、先に折れたのは安達先生だった。
「……蒼木が二日前に入院してたとこだよ、瀬戸先生が倒れていたところはそう遠くないんだ」
「ありがとうございます」
 瀬戸先生がどういう様態なのかは知らないけど、話が出来るようだったら確かめたかった。本当にただの事故なら、俺の杞憂に違いない。でも、何か……そう、例えば何かの抗争に巻き込まれたとか。
 やっぱり自分の頭はどうかしてるんじゃないかと思う。いつもそんなことは考えていない。探偵の真似事とか以前に、抗争に巻き込まれたとか思うこと事態がすでに子供だ。普通の日常でそんなこと、ありえるはずがないではないか。
 でもなんだか……自分の身体に起こったことに徐々に納得し始めているのかは知らないけど、どういうわけかそう考えるほか頭にない。
「まぁ、それ以外に伝える事項は特になし、以上。じゃぁ皆、今日も勉強がんばれよ」
 それだけ言って安達先生は教室を出て行く。
 またクラスにざわめきが起こる。
「瀬戸先生が、どうかしたのか?」
 唐金が聞いてくるが、蒼木にはそれが耳に入っていなかった。
 もし、だ。もし、可能性の話に過ぎないが、瀬戸先生がまさか『神隠し』の犯人と接触したのなら……?
 昨日屋上で話したとき、瀬戸先生も『神隠し』の事件について調べていた。それも、俺みたいな一般人よりもはるかな情報を持っている。それに犯人と接触したとも言っていた。
 瀬戸先生が何者か、なんてのは、どう推理しても結局わからない。でももし警察関係者だとか、俺たちの知らないCEEDとかいう奴の研究とかしている人だったら、逆に何も不思議なことはない。犯人と接触してもおかしくはないのだ。
 犯人は確か……道具みたいなのを使うとかなんとか、言っていたような気がする。いきなりあんな話されてもまだ半信半疑だけれど……その道具か何かで、犯人に殺されそうになったところを誰かが発見したのではないのか?
「おーい、大丈夫か?先生、来たぞ?」
「……あ、ああ」
 やっと我に返った蒼木は、皆立っていて自分一人だけ座っていることに気づいた。
「す、すいません!」
「礼!」
 蒼木もあわてて礼をする。自分だけ座っているのを皆待っていたのだ。
「着席!」
 そんな蒼木の様子を見て、唐金がやはり心配そうに、
「まだ具合悪いのか?」
「い、いや。大丈夫だから」
「ならいいんだけど」
「あ、そだ。ちょっとノート見せてく……」
 見せてくれ、と言おうとする前に、唐金が蒼木にノートを手渡す。
「ほれ、休んでた分のノート。言うと思ったよ、まったく」
「あ、ありがと。恩に切るよ」
 唐金は親指を立ててみせた。蒼木もつられて親指を立てる。
「……コホン、えーそれでは、教科書の百二ページを……」
 古文の先生が教科書の内容を音読する。この先生の声はなんだか、催眠作用があるのかと思うほど眠くなる。まさに子守唄だ。
 蒼木はその古文の授業のノートをとりつつ、休んでいた分のノートも書き写すという作業を苦もなくやってのけた。走書きのようなのに、字崩れは全くない。
 しかし蒼木の頭の中では、破裂しそうなぐらいパンパンに高回転している。眠くなるどころか、寝ようとしても寝れない。
 蒼木はいつもこうなのだ。どうでもいいことに首を突っ込んで、真剣に考えている。推理が外れることもあるが、当たることのほうが多い。蒼木の推理力に感心する友人も結構いるみたいだ。
 今日もまた、いつもみたく変な妄想を膨らませて、推理し始めているのだろう──唐金や他の蒼木の友人は、そう納得して蒼木の慌てぶりにも気にしなくなった。
 当の本人を含めその教室にいる生徒の全てが、これから起こる生死を賭けた戦いを知るものは、この時点ではまだ誰も知らなかった。



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0:人物紹介 1:前奏 2:変異 3:過去 4:遭遇
5:確信 6:正体 7:対峙 8:発覚 9:慟哭
10:序幕 あとがき